フランク永井

昭和30年代歌謡【フランク永井】をyoutubeで検索。
フランク永井は、昭和30年(1955年)に「恋人よ我に帰れ」でデビューします。そして昭和32年(1957年)有楽町そごうデパートのキャンペーンソングの「有楽町で逢いましょう」が大ヒットして人気歌手となります。
「東京午前三時」「夜霧の第二国道」など数多くヒットさせ「魅惑の低音」と云われムード歌謡で人気を得てトップスター歌手となり数々のヒット曲を世に出しました。
昭和36年(1961年)には、リバイバル曲である「君恋し」が大ヒットし、第3回日本レコード大賞を受賞しました。その他ヒット曲では「霧子のタンゴ」「妻を恋うる唄」「おまえに」「国道18号線」など多くがあります。
昭和34年(1959年)松尾和子と共に歌った「東京ナイト・クラブ」は、今も尚人気のデュエットソングとして歌われています。
(昭和7年(1932)3月18日 ~平成20年(2008)10月27日)

「有楽町で逢いましょう」が大ヒットした昭和32年(1957年)は、新5千円札が発行され東海村原子炉で日本初の「原子の火」が灯った時代でした。
海外ではソビエト連邦が世界初の人工衛星であるスプートニク1号の打ち上げに成功したしました。


当サイトでは、昭和から平成までの時代に流れていた心に寄り添う歌を便利にYouTube検索できます。
フランク永井のお好きな歌を検索されてお楽しみ下さい。

 


昭和年代別流行歌はこちらから

 



                                               
昭和31 (1956)→ 場末のペット吹き  
昭和32年 (1957)→ 東京午前三時 夜霧の第二国道
  札幌発最終便 泣くなサキソフォン
  有楽町で逢いましょう  
昭和33年 (1958)→ 羽田発7時50分 こいさんのラブ・コール
  ラブ・レター たそがれ酒場
  俺は淋しいんだ 夜霧に消えたチャコ
  雨のメリケン波止場 望郷 ペペ・ル・モコ
  西銀座駅前  
昭和34年 (1959)→ 小雨の三叉路 東京ナイト・クラブ
松尾和子
  恋夜 お別れしましょう
  冷いキッス 恋のビジネス特急
  ふるさとの道 山のホテル
  若い潮  
昭和35年 (1960)→ 東京カチート 涙なんか
昭和36年 (1961)→ 遊侠一匹 君恋し
  初恋ボンボン 北海太郎
昭和37年 (1962)→ 悲しみは消えない 霧子のタンゴ
  新東京小唄 東京ギター弾き
  モスクワの夜は更けて 黒い瞳
昭和38年 (1963)→ 戦場の恋
昭和39年 (1964)→ 国道18号線
松尾和子
大阪ぐらし
  誰を愛して 振り向けばひとり
  悲恋のワルツ 恋うた(ラブ・コール)
  霧笛の道  
昭和40年 (1965)→ 妻を恋うる唄 おきなわ
昭和41年 (1966)→ 愛のブルース みれん酒
  小指 大阪ろまん
昭和42年 (1967)→ 風と二人で 道後の女
  でっかい夢 生命ある限り
昭和43年 (1968)→ 加茂川ブルース 面影のひと
  つかの間の恋  
昭和44年 (1969)→ 夜霧に濡れて 薔薇のおもかげ
  旅情  
昭和45年 (1970)→ 大阪流し  
昭和47年 (1972)→ 季節はずれの風鈴 知っていたのかい
昭和48年 (1973)→ 幸せってやつは  
昭和50年 (1975)→ 大阪無宿 届かない手紙
昭和51年 (1976)→ そっとしといてあげるから 酒場の花
昭和52年 (1977)→ おまえに 11時過ぎから
松尾和子
  夜の招待
(松尾和子マヒナスターズ
 
昭和53年 (1978)→ 街の灯り 公園の手品師
  いいわけ  
昭和54年 (1979)→ お前がいいと言うのなら ひかげうた
  兄妹だから グラスの氷
昭和56年 (1981)→ 追憶  
昭和57年 (1982)→ 夜明けの街 マホガニーのカウンター
  恋を愛に代えて WOMAN
昭和58年 (1983)→ さよならは左手で スローナイト
昭和60年 (1985)→ 六本木ワルツ  
     
【その他】    
赤いグラス
松尾和子
あなたのすべてを 旅秋
ゴッドファーザー 昭和枯れすすき
松尾和子
銀座ブルース
松尾和子
わかれ 夜間飛行 グッドナイト
松尾和子
泪の乾杯 別れの夜明け
松尾和子
赤とんぼ
誰よりも君を愛す
松尾和子
涙と雨にぬれて
松尾和子
慕情
ふるさとの風 酒とバラの日々 東京恋情
イェス・オァー・ノー はてしなき恋 とても大きな月だから
有楽町0番地 麦わら帽子の子守歌